交流会 1/2 新春恒例の松下幸之助翁ゆかりの地を訪ねる

PHPおおひらき松翁会では、新春恒例の『幸之助翁ゆかりの地を訪ねる』をメンバー4名で昨日に実施しました。
今回はゆかりの地2ヶ所を探索することになり、1つ目は現在の大阪市東成区玉津2丁目付近(旧・東成郡鶴橋町大字猪飼野)に出向き、松下幸之助起業の地付近を探索してきました。


⇒松下幸之助起業の地・碑と共に

松下幸之助起業の地とは、松下幸之助氏が以前に勤めていた大阪電灯㈱(現在の関西電力㈱)を大正6年6月に22歳で退職し、初めて松下式ソケットを考案し独立・起業した地がこの地なのです。
それ以後幾多の改良をかさねて商売を軌道に乗せようと試みますが上手く行かず、この年の瀬に扇風機の碍盤が川北電気より大量に注文が入ったことによって利益を得ることができ、本格的に事業を興そうということで、大正7年3月7日、現在の大阪市福島区大開2丁目へ転居、移転し、配線器具製造を主とした『松下電気器具製作所』という屋号を初めて掲げて創業されたのです。

次に2つ目のゆかりの地は、大阪市北区大淀中3の八阪神社へと足を運び、境内中ほどの奥に『関西商工学校発祥之地』顕彰碑があり、その裏面下の顕彰碑建立寄進者名簿の中に松下幸之助氏の名が刻み込まれていました。


⇒八阪神社境内にある『関西商工学校発祥の地』顕彰碑


⇒顕彰碑裏面にある建立寄進者名簿の中に松下幸之助氏の名前(下段左端)

この関西商工学校は、現在の関西大倉学園(高等学校、中学校)の前身で、当時の学校は大阪府西成郡鷺洲町大仁(現在の旧朝日放送、大阪タワーの所)にあったとされています。
松下幸之助氏も18歳の時、同校の夜学に1年間通って電気知識を学んだと自叙伝(私の行き方・考え方)に記されています。

更新日時: 2010年01月03日 18:52